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 鹿沼今昔ものがたり
 コラム:白石さん

 その一
 その二 秀吉の好色、鹿沼の衰退
 その三 徳川家康没して・・・
 その四 家康の柩 鹿沼に・・・
 その五 秀忠、釣り天井を避け・・・
 その六
 その七 家光は家康が大好き
 その八 鹿沼の消費と経済
 その九 天朝さまのお使いが通る
 その十 天下太平祭りだ祭りだ
 その十一 薬用人参の栽培
 その十二 終わりの初めは大変だ

 


その七 徳川家光はお爺ちゃんが大好き
元和9年(1623)家康の命日に家光は最初の日光社参をします。
そして家康の33回忌の慶安元年までの25年間に10回も社参しました。寛永11年(1634)には東照社の大造営に着手し翌年4月竣工、この時の建築物が今の東照宮です。この時家光は7回目の社参をします。供奉には御三家をはじめ幕閣20余、外様大名も加わりその行列は壮麗を極めたと言われています。
日光に何か行事があるたびに鹿沼宿を人々が通りますが、寛永の大造営には1万6千人が工事にたずさわったと言われていますから、各街道にそして宿場に賑わいと潤いを残したことでしょう。さらにこの年、朝鮮通信使「いまの言葉では親善使」が参拝に来て一層の賑わいとなりました。
正保4年例幣使が朝廷より派遣されるようになり、以後220年間明治になるまで毎年4月1日京を出立して中山道を通り倉賀野から分かれて楡木・鹿沼を経て15日には東照宮参拝して帰路は宇都宮から江戸に向かいます。例幣使は古来から伊勢だけに派遣されていたものが東照宮にも来るようになりました。家光は祖父が好きというより徳川幕府の安泰、再び戦のない世の中を願って家康の神格化に努めたと思います。それが東照宮の大造営となり、例幣使の派遣により益々高められたことでしょう。このころは亡き大御所とは言わず、東照神君となっていたのでしょう。慶安4年4月20日家光は48才で没します。
鹿沼の古文書にはこう書き残されています。
同月21日の黄昏に御尊像を営中より東叡山に本坊に移し奉り、24日宝館を出御なしたてまつる、左近衛少将・酒井讃岐守・源忠勝「中略」其のほか近習外様の英士数多く供奉。今日のお泊まりは粕壁・最勝院、25日は栗橋・福寿院、26日は真々田・竜昌寺、27日は鹿沼・薬王寺と家光の葬列が延々鹿沼宿を通過していきますが家康の葬列以来35年後のことでありました。
JR日光線・東武日光線ともに徳川家光のおかげです。
家光の墓所がある大猷院もかなりのものです、世界遺産だけありますね。
 
 
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