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その五 秀忠、釣り天井を避け鹿沼を駆け抜ける
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元和八年四月、日光東照社奥社・宝塔完成。家康公の七回忌に、秀忠社参に向かいます。
江戸を出て小山・宇都宮・今市そして日光と滞りなく、すべてが終わったその夜、近侍の者が伺候して一大事にござりまする、さらに声をひそめて、本多正純殿ご謀反の企てありとの報がありましてござります。翌、夜の明けきらぬ中数人の供と秀忠は日光を脱出します。今市で道を右にとり板橋から鹿沼を駆け抜け、その日のうちに江戸城に帰り着いたと言われています。
正純は幼い時から家康に仕えた股肱の臣、関ヶ原の時は37才家康の帷幕にあって働き、大阪城の堀の埋め立て奉行として辣腕をふるい豊臣の滅亡を早めた。
その地位は昇りつめて幕閣の中枢となり2年前に宇都宮15万5千石の藩主となりました。
城の修築の際、根本衆を多数殺害する、また大谷石を多量に使ったことなどが、秘密の工事に関わった者の口封じ、天井の石を落とし秀忠暗殺を企てた。という宇都宮釣り天井の伝説はこの時に起きたものです。
真実は今となっては闇の中、誰かの讒言によるものか、幕閣の陰謀に秀忠が演出したのか、翌年家光が将軍に就きました。江戸城は権謀、術策の渦巻く所でもあったのでしょう。
八月正純はこの事により出羽に流され、15年後73才で没しました。
故事に曰く、獲物を捕り尽くせば猟犬煮られる。
以前には宇都宮の菓子に「釣り天井」というものがありましたが一時期のことで、今は有りません。どんな味だったのでしょうか、覚えておりません。
一方天海さん家康公の葬儀の時82才、本多正純の死んだ時には102才、そして6年後108才で没します。
長生きの秘訣をお聞きすると
”気は長く 勤めはかたく 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ”
ときの天皇より、慈眼大師の号を賜る、日光の慈眼堂に墓があります。 |
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