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その四 徳川家康の柩 鹿沼に5日間安置される
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金兵衛と17人の宿づくりは井桁の道をつくりました。
日光はすでに大規模な工事がはじまって諸国から人々の往来が多く幕閣要人などは供揃えをして日光に向かい、先触れの家士が走るようにして通り過ぎ、職人たちが商い道へ寄り飯をかき込むようにして食べ、足を速めて通り過ぎて行ったことでしょう。
東照宮造営の「元和の造営」邪魔になってはいけないということで道が二筋できたのでしょう。
元和3年3月15日東照社竣工「当時は宮ではなく社」鹿沼の古記録には竣工の日に久能より御尊骸を日光山に移し奉る。将軍秀忠公の御名代には、従四位少将土井大炊頭源利勝「中略」をはじめ英士、雑色に至るまで綺羅を尽くして供奉し奉る。大僧正天海 御導師として金輿に御先達。「中略」栃木という里を過ぎて室の八嶋を右になし、鹿沼にて薬王寺といへる寺に入らせ給う。この所に中3日御逗留。3月29日より4月4日迄此所の御安座あり、と書き残されています。
豪華絢爛な葬列が鹿沼宿を立ちますが、その後に陸続として供奉の列が続きます、もうかと思えばまだまだ終日続きます。
落城から25年たって此の地に希望の灯りがともりました。よかったね。 |
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